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月曜日(26日)の朝、目が覚めてすぐに静かすぎる外の気配に嫌な予感がしたので、恐る恐る玄関を開けた。
外が静かに感じる時は雪が積もってる時。
外の景色を見てビビった。雪が膝より上まで積もってた。しかも降り続けてる。
オレの職場は私有地の山の中腹にあるから公道のように市の除雪が入らない。そのため公道までの道を自分で除雪しなくてはならない。
そんな訳で、まだ暗い中車を出してすぐに職場へ。
除雪しなくてはならない場所は一車線の幅(3メートルくらい)×150〜200メートル程の長さの坂道。
結構長い。そして除雪機があるのは職場の倉庫。だからまずそこまで雪をこぎながら坂道を登らなくてはいかん。
山のふもとに車を止めて、そこから膝が埋まる深さの雪をこぎながら坂道を登り、6時半から除雪開始。
雪をこいで登ってる時は映画の「八甲田山」と、何故か「二百三高地」を思い出して、さだまさしの「おしえてーくださいー」が頭の中で鳴ってた。
ホント、なんでこんなに一遍に雪が降るのか教えてほしいよ。
除雪が終わったのは11時過ぎ。その日の芦別の降雪量は60センチでニュースにもなってたらしい。
雪が60センチも積もるようなおかしな日には、他にもおかしな事が起こる。夜、おかしな走り方をするレクサスを見た。赤信号でオレの前に止まってたのだが、信号が青になってもアイスバーンになった路面でスリップしてなかなか走り出さず、ようやく進んでも、後輪がスリップしながら車体を押すから(レクサスは後輪駆動らしい)後部が左右にフラフラして車体が斜めになり、でも斜めになりながらも前に進む。「その向きでそっちに進むのかよ!」と突っ込まずにはいられなかったその不思議な走行は将棋の桂馬のように思えた。
スピードも15キロも出てないから抜きたいのだけど、予測不可能な桂馬走行と、以前高級車に乗ったそちらの人にボコボコにされた体験記をここに書いたばかりだったからそのレクサスに乗ってる人もそちらの人かもしれんと思ってしまって(白いレクサスだった)、怖くて抜けんかった。
しかし、高級車のレクサスがあんな姿で走ってるのを見てしまってちょっとショックだったよ。いくら高級車でも場所を選ばないと、ボロボロのステップワゴン(オレの車)以下、何台も渋滞を作る醜態をさらす事になる。それで運転してるのが本当にそちらの人だとしたら、本当にシュールな状況だ。クラクションを鳴らそうもんならやっぱりキレられるんだろうな。
とはいえ60センチは降り過ぎだ。しばらくは降らんでほしい。
Posted at 08:15 AM | Permalink | Comments (0)
前回触れた北海道新聞のコラム「朝の食卓」2011年3月5日に掲載して頂いた文章を転載します。
ここで触れてる「富山の友人」とは、このブログでも以前触れた岩崎努という大学で同期の彫刻家。
木彫岩崎/岩崎努の世界
「朝の食卓」の執筆にあたり、当初の目的だった自分のバカをネタにした文章は残念ながら書けなかったけど、岩崎他、制作でオレが刺激を受けてる人は結構紹介出来たように思う。
「富山の友人」
先日、富山に住む友人と久しぶりに電話で話した。彼は、欄間の彫刻で有名な富山の井波彫刻を学んだ木彫家で、とても緻密で繊細な作品を丸太から彫り出す。丸太は表面が乾いていても、中は水分を含んでいるため、一気に彫ると必ず割れる。彼の作品にとっては小さなヒビも致命的なダメージとなるため、彼は乾燥の度合いを見ながら、何カ月もかけて彫り進めていく。
木の性質を踏まえたこうした技術について、僕は、彼や木工職人に遠く及ばない。僕の玩具はわが子に遊ばせたいという思いから、半ば我流で作り始めたものなので、今そこに差があるのはしょうがない。これから磨きをかけていこうと思う。
電話をした日は休日だったが、彼は制作をしていた。聞けば、ノミを持たない日はないとのこと。彼はその道に入って14年になる。著名な賞を受け、彫刻の制作だけで家族を養い、立派な工房も建てた。にもかかわらず、昨年初めて開いた個展について「やっとスタートラインに立てた」と言う。
最初、彼がすごくストイック(禁欲的)に制作しているように感じたけど、話しているうちに、休まないのは常に楽しんで作っているからでは? と思った。以来僕も楽しむことを意識しながら作るようにしているけど、それは技術を身につけるのと同じくらい難しい。
Posted at 09:11 PM | Permalink | Comments (0)
12月13日に掲載して頂いた分でオレの「朝の食卓」執筆者としての2年間の活動は終わりました。自分では掲載回数を数えてはいなかったのだけど、執筆させて頂くにあたりいろいろと力を貸して下さった北海道新聞芦別支局長さんから頂いたメールによると17回書かせて頂いたんだそうで。
掲載して頂く度に、北海道内各地の友人や知人、お客様から「読んだよ」という連絡を頂けて嬉しかった。地元のおばさま達に「ファンだから」と言ってもらえた時には、オレがあと15才若かったら氷川きよし並みにおばちゃんのハートをキャッチするローカルアイドルになれたかもと妄想した日がある事も白状します。
あと、もちろん原稿料を頂けたのもプロになれたようで嬉しかった。
ネットの普及で雑誌や新聞の発行部数は減る一方のようだけど、でもモニターだけに写されてるのと印刷されてあちこちに置いてあるのとでは作り手の嬉しさは全然違うんじゃなかろうか。印刷され、自宅に届く新聞にオレの文章が掲載されてたのは多いにモチベーションを刺激されました。
とはいえ、約6週間に一度の執筆では素人の固さがなかなか抜けず、だからブログで書くような力みのない文章は最後まで書けなかった。
まー力みなく書けたとしても、採用してもらえたかはまた別の話だけど、オレの理想としては自分のバカな経験をさらしてそれを読んだ人に笑ってもらって、その日少しでも明るい気分になってもらえるようなそんな文章を書きたかったので、それが出来なかったのは残念。(あと書き始めてみると、東京や海外で見たり経験した事を書いた時に「読んだよ」「面白かった」の連絡を頂く機会がより多かったので、そこに軸足を置いて書いたところもちょっとある。)
本当はもっと書きたいのだけど、2年間という事なのでこれでおしまい。
またどこかで書かせてもらえないかなー。どなたかそんな場所があれば紹介して下さい。
ゲンコウリョウという響きも素敵だけど、インゼイという響きにも憧れるヨシオカです。
とにかく、2年間とてもいい経験をさせて頂けました。
S支局長、ありがとうございました!
最後に、2年間17回掲載して頂いた文章で一番自然な言葉で書けたかなと思う回(2010年8月28日)の文章をここに転載します。この時の担当さんからも褒めて頂けたのは単純なオレはとても嬉しかった。年内、気が向いたらまた別のも転載します。
「木を材料にすること」
僕が木製玩具を作り始めたのは3年前からだけど、キャリアとしては木彫の制作の方が長く、かれこれ20年程続けている。
木彫を作ってるとエラそうに言いつつ、僕は彫りたい形が決まっていても、いざ材料となる丸太を目の当たりにすると、「この木を彫ってこの木よりカッコいい形を作れるのだろうか?」と必ず考えてしまい、なかなか彫り出せない。木は、どんな木もとてもカッコいい形をしている。結局、その自問にいつも答えを出せないまま、展覧会までの時間に押されて彫り始める。
最近、玩具で大きな注文を頂き、たくさんの材料を購入した。玩具用に加工している木は製材されているせいか、木彫用の丸太のように林立する木をほとんど感じていなかったのだけど、今回木材を見ているうちに、ふと「おまえはこれだけの樹木を切ったのだぞ」と言われてるような気がした。ここに木材があるということは、どこかの森がその分減ったということだ。
「僕が木を加工して物を作るのは何故だろう?」と考えてみたけど「木が好きだから」以上は答えられない。相変わらずだ。きっとこうした自問にはいつまでも答えられない。ただ、こういう自問を経てから作る物には意味があると勝手に思っている。そして木彫も玩具も完成したものを見ると作って良かったといつも思う。
Posted at 11:22 PM | Permalink | Comments (0)
何故か自宅にアフロのヅラがあった。
子供に被らせてみた。
長男が選んだのは黄色のアフロ。
被らせたらミュージシャンぽく演出したくなり、サングラスをかけさせてギターを持たせてみた。
長男は頼みもしないのにポーズをつけてくれた。
次に黒のアフロを娘に。三頭身になっちまったぜ。
やっぱりサングラスとギターが必要だ。という事でアンパンマンのギターを持たせてみた。
写真を撮ってたら、
アフロ + サングラス + ギター = レニー・クラビッツ
という流れでレニー・クラヴィッツのAre you gonna go my wayを思い出し、オレの頭の中で鳴り始めた。
超カッコいい曲で名曲だ。
だけど、学生時代、友人・松本次郎君がこの曲のギターのフレーズを「ピーヨコちゃんがちゃらーら」と歌ってたせいで、20年近く経った今でもその曲を思い出すとこの言葉も思い出し、そしてしばらく頭の中で鳴り続ける。
今も鳴り続けてる。
Lenny Kravitz "Are You Gonna Go My Way"
ピーヨコちゃんがちゃらーら
ピーヨコちゃんがちゃらーら
ピーヨコちゃんがちゃらーら
ピーヨコちゃんがちゃらーら
Posted at 12:07 AM | Permalink | Comments (0)
旭川の木工クラフトを海外で売り出そうというプロジェクトに参加させてもらってる事をここで度々書いてますが、そのプロジェクトの中でオレのグリップカーがシンガポールのお店で置いて頂ける事になりました。
お店の写真を見せて頂きましたが、オレにはとても入れなさそうなおしゃれなお店です(写真が手に入ったらここで紹介させて頂きます)。
この玩具の価格は税込で¥2,940-(日本国内の価格)。
形はセダンとバスの2タイプ、色はレッド×オレンジ、ブルー×グリーン、レッド×ブルー×イエローの3タイプあり、サイズは高85×幅75×長138mm、対象年齢は0.5〜2才です。
パリでも同プロジェクトの展覧会が企画されており、そこでもこの玩具が売り出される予定です。
材料に見えるカラフルなストライプは塗装ではなく木材に挟まれた紙の色です。この材料は地元の合板メーカー・滝澤ベニヤさんが開発し、昨年グッドデザイン賞を受賞された「ペーパーウッド」という合板と紙を積層した新しい合板です。
現在この材料を使った新製品の試作を進めております。完成次第、またここでお知らせさせて頂きます。
Posted at 01:13 AM | Permalink | Comments (0)
20年前に暴力団関係者と思われる人にボコボコにされた時のお話。
それは大学1年の春休みにやっていた道路工事の警備員のバイト中の出来事。
その日はそのバイトを初めてまだ3回目だったにも関わらず、T字交差点のど真ん中に立って三方向に指示を出す一番重要なポジションを任された。
場所は日野の多摩テック近く。工事現場は左右に延びる道と多摩テックに繋がる道がぶつかる交差点(T字を逆にした形)の左手側で、左から右方向に進む車線を結構長い距離(100メートル以上あったように思う)で工事していた。
確か午前2時過ぎ。左側から車が来てる、通していいかとの連絡が入ったので、前と右側の道を担当してる警備員に車が来ても止めるように指示をして、左側からの車をそのまま進ませるよう指示を出した(片側の車線を交互に使ってるため、一方向ずつの車しか入れない)。
数秒後、工事で狭くなった道からその車が出かかった頃に右側から車が近づいてきた。信号は赤。だがそこにいる警備員が何も指示を出してないのをGOサインとでも思ったのか、信号を無視してその車は進んできた。そして左側から来た車とオレの目の前で側面接触。
深夜で静まり返っていたのもあり、接触した時に派手な音があたりに響いた。
幸い両ドライバーとも怪我はなかったが、それで一安心つける状況にはならなかった。ぶつけられた白い高級車から、革靴のかかとを踏みつぶした一見してそちらの人と分かる風貌の男が降りてきたのである。
オレは左からの車(白い高級車)を流す指示は出したが、右には出してない。しかも信号は赤。だから右から来た車が信号で止まれば事故は起こらなかった。悪いのはその車のドライバー。
だが、オレは目の前ですげー音を立てて接触した事故を見てテンパってしまい、自分が止めなかったせいだと思って白い車から降りてきたその男に近づいて謝った。謝ってしまった。それがいけなかった。
奴はオレを蹴り上げた。
正直言うとそれ程痛くはなかったが、痛がった方が奴の怒りは収まるんじゃないかと瞬間的に考え、ジャッキー・チェンの映画並みにオレは派手に吹っ飛び、悶絶してみた。
逆効果だった。
奴はオレが吹っ飛ぶ事に快感を覚えてしまったようで、立ち上がったオレに近づいてきて再度蹴りを入れてきた。
これはいかんと思い、咄嗟にヘルメットをとって謝る事にした。
オレはヘルメットをとった。
数日前、オレは門脇に髪を切ってもらってた。
大学に入ってからはいつも門脇に切ってもらってた。大抵はGIカットだったのだが、その時オレは門脇に任せると言って頼んだ。頼まれた門脇は、せっかくだから誰もしてないパンクな髪型にしましょうと言ってバリカンを入れた結果、門脇曰く「お皿カット」という髪型に仕上がった。横と後はスキンヘッドで頭頂部にカッパの皿を乗せたように丸く髪が残った髪型だ。確かに誰もしていないオリジナリティ溢れる髪型だ。しかしこの髪型をもう一度頼む事はないだろう。
ヘルメットをはずしてそのお皿カットの頭で謝った時、その暴力団風の男の怒りの方向が変わった。
「てめー、なんだその頭!!ナメてんのか!!」
蹴り、蹴り、蹴り・・・。
いえ、決してナメてる訳ではございません。誠意を見せようとしてるだけです。
監督さんが走ってきてその男を止め、事情を聞くが怒りが収まらない。工事現場は仕事が全てストップ。警察が到着。その男は警察と話をする前に「てめーに後で一筆書いてもらうからな」とお皿頭のオレに言ってきた。それを聞いていた監督さんが「奴が見えないところで隠れてろ」と言ってくれたので、お皿頭をさらしたまま工事現場から見えない公衆電話まで逃げた。そして警備会社に事情説明の電話を入れた。
翌日、会社に呼ばれてお皿頭で始末書を書かされた。
教訓
お皿カットで警備員をやると大変だよ!!
それにしてもなんでああいうタイプの人が被害者になってしまう、そういう場所にオレは遭遇してしまったのだろうか、という思いは今も消えない。オレは運がいいのか?悪いのか?
そういう思い出。
真面目な話もちょっと書いておくと、警備員が道路でやってる事は「交通誘導」といい、警察がやる「交通整理」と同じように見えて、意味がちょっと違う。
警備員がやっていることはドライバーに協力してもらって成り立つ行為であり、強制力はないし、信号機があった場合、その信号機を無視した誘導も出来ない。警察の指示は強制力があるし、信号機よりも優位。つまり、警察>信号機>警備員、という関係になる(と教わった記憶があるが絶対的な自信はない)。これを逆の見方をすると、警備員の誘導に従って信号を無視して事故にあったとしても警備員には責任はないという話。警備員と警察のそれは似て非なるものです。だから皆さんもその辺の認識には気をつけて下さい。
だからか、もし事故があっても絶対に謝ってはいけないと事前の研修では指導される。警備員が謝った場合、責任の所在がややこしくなるという事なのかのかもしれん。
オレは謝ってしまった。その男がオレをターゲットにしたは、そういうからくりを知ってたからなのかはよく分からんけど、オレの責任どうのこうのという事にはならず、始末書は書いたけど翌日からも仕事をもらえた。ただ同じ現場だと奴が探しにくるかもしれないと言われ、オレが希望した現場は当時住んでいた立川近辺の日野八王子方面だったのだけど、それ以降は中野方面になった。
まあ、エラい目に遭ったけど、当時はまだ日本がパブリーな時期だったので、夜勤一回で確か¥16,000-(¥2,000-/時×8時間)とそれ以外に月曜日から金曜日まで5日連続で勤務したら皆勤手当として¥10,000-/週が出たし、仕事が定時に終わる事はほとんどなく残業代もたくさんついた。だから2ヶ月びっちり入って80万位稼がせてもらったそんなオレのバブリーな思い出でもある。
Posted at 07:49 PM | Permalink | Comments (0)