20代前半から左目にものもらいがたまにできるようになった。
たかがものもらい。
目薬さしときゃそのうち治るだろ。
と放置してたのだけど、20代後半に差し掛かって毎春まぶたが腫れ上がるようになってしまい、いい加減腹が立ち、病院に行ったのは28才の時(10年前)。
診察してくれたお医者さんの話では、オレの左目側にはものもらいが出来る原因となるもの(巣とか袋と先生は表現してた)が4個もあるんだそうで、それで出来やすいんだとか。で、この際、とってしましょう、すぐとれますよ、と言われた。
その事をセッカイと言ってた。
それは「切開」と書くに違いない。しかし切って開くのは手術じゃないのか?なんでわざわざセッカイと言うのか。手術と言うには切って開いたところを結んで閉じなければならんのか?そんな定義があるのだろうか。
先生の話を聞きながらそんなような事を考えたのを覚えてる。
まあ何にせよ、オレに言わせればそれは立派な手術だ。
セッカイ当日。
手術の際に患部の上に穴のある布をかけるのはたぶん、血だらけになってメスやらいろいろなものが突っ込まれてる患部の状況を患者に見せてしまうと不安にさせてしまうからそうならないようにするためなんじゃないかと思う。この時もやっぱり布を使ってた。だけど、目は上から布をかけたって中から様子が見える訳で、布をかける目的が上に書いた事であたってるならば、この布は全く意味がない。
それに、客観的に考えて、布の穴から患者の片目だけが見えてそこにメスやら何やらを突っ込んでるお医者さんというのも恐い。
で、そのセッカイだけど、メスが段々目に近づいてきて患部に触れた時にチュッと赤いものがにじんで、目に近過ぎて焦点が合わないながら、目の上でメスがキラキラ光ってるのが見えて、怖い、逃げたいと思いつつ、でも動いたらエラい事になると言い聞かせて体が硬直してた。ような気がする。実はあまり覚えてない。記憶力が異常にいい(とよく言われる)オレだけど、きっとセッカイの最中は怖過ぎて脳みそが働いてなかったのだと思う。だからこれはちゃんとした記憶なのか、頭の中で勝手に作り上げた光景なのかよく分からなくなっている。
それ以降10年間、セッカイを我慢した甲斐があってものもらいに悩まされる事はないのだけど、その時セッカイしてもらったのは4個のうち大きいのを2個だけ。だからまだ2個はある。
たまに目がかゆくなるとセッカイを思い出し、ゾッとする。
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