先週金曜日、今年が4回目の開催となる旭川木工コミュニティーキャンプ(以下AMCC)に参加させてもらった。仕事の関係上キャンプのプログラム3日間全てに参加するのは厳しいので1日だけの参加。
参加するにあたっては先月東京から札幌に活動拠点を移していた大学の後輩Iと千葉で家具を作っている友人・吉野郁夫を誘ってた。
後輩Iは郷里が札幌ということもあり昨夏も会っているのだけど、吉野君とは5年振りの再会。酔うと「何故あなたはそれを買ったのですか?」というドイツ語を意味なく口にする吉野君と再会して呑むのを楽しみにしつつも、携帯を持ってない吉野君が本当に旭川に来てるのか分からないまま集合場所へ。
そうして到着した、おそらく地番のない、あるいは広大な範囲を指す地番しかないであろう森の中で吉野君と再会。
人間、携帯を持ってなくてもちゃんと会えるもんである。
しかも夜の懇親会では吉野君やオレと同時期に武蔵野美術大学で研究室の助手をやっていたカイチもいてビビった。カイチと会ったのは何年振りだろう?他にもムサビ人参加者が二人いた。
さて、オレは昨年もAMCCに参加させてもらったので今回が2回目の参加。AMCCのプログラムは初参加者用と2回以上の参加者用の2つ組まれているのだけど、オレは昨年と同じ初参加者のプログラムに同行させてもらった。
それは久々に再会した後輩Iや吉野君と会話出来る時間を長く作りたかったのと、初参加者用に組まれてる間伐体験に今年も参加したかったから。
空に向かってすっと伸びてる木がチェーンソーを入れられてあっという間にバキバキバキと倒れていく(倒されていく)その光景は昨年目の当たりにしてから脳裏に焼き付いている。
その前から人から聞いたり文章を読んだりして間伐についての知識はあったけど、実際にその光景を見ると脳みそへの刻まれ方が全然違った。見た後にはそのプロセスを経験してから木を使うのと経験してないのとでは作る物の意味が違ってくるようにさえ思った。
話は逸れるけど、食前の挨拶「いただきます」には「(命をありがたく)いただきます」という意味も込められてるのを知ったのは恥ずかしながら30を過ぎてからだった。
「そういう”いただきます”だったのか!」と驚き、納得したものの、その後も自発的にその意味を込めて口にする事は出来なかった。が、この間伐体験からはそれに通ずる感覚を得られたように思っていて、そんな感覚を再度確認しておきたかったのも初参加のプログラムに同行した理由の一つ。
この辺の事についてはオレのようなタイプは少なくないと思うので、そういう人がAMCCにたくさん参加するといいのだけど、と思う。
来年以降もあと6回(6年)続くんで、ちょっとでも興味をもった方は是非!
後藤さん、秋山さん、実行委員の皆様ありがとうございました!
それから吉野君、来年また旭川で会いましょう!
ランバード吉野