さて、横浜では久保田が展示の準備を着々と進めてる様子。
見に行きたいところだけど、今オレは芦別を動けない理由がありまして。それはまた後日報告するとして、今回は展示を控えて気合い入りまくってる久保田についてオレが知ってる事を書きます。
東京を拠点にしていた約20年、東京に出なければ出会えなかったと感じる人は沢山いたけれど、久保田はその代表的存在。
最初から気になる奴ではあったけど、オレは年齢だと3才、大学の学年では2年久保田より上で、だから大学時代は飲みに行った先で偶然久保田が車で通りかかったらその車の上によじ上ってボコボコ飛び跳ねたり、基本的にものすごくエラそうに久保田に接してた。けど、久保田の卒業制作の作品、巨大な鉄の塊がもの凄い音を立てて動く作品を見た時にこの男には絶対に敵わないと思った。鳥肌が立った。その作品を見て感動して泣いてるおばさんもいた。
オレは学部→大学院→研究室スタッフという流れで大学に残ったのだけど、2学年下の久保田も同じく学部から大学院に進んだ。その辺りから接点が増え、毎週飲みに行くようになった。ある女の子に「二人、ホモなんじゃない?って言われてるよ」と言われ、それに対し久保田は「違うよ馬鹿。お前らはプラトニックラブをわかっちゃいねーな」と全然否定になってない事を言ってホモ説に油を注いでくれた事もあったが、とにかくよく飲みに行った。
金がない時は研究室の酒を飲みまくった。一度、研究室で飲んだ帰り道、気持ちよくなってた久保田は全力でチャリをこぎ、曲がり角でも全力でこぎ、曲がり切れずにブロック塀に激突して額を十数針縫う大けがを負った。それで当時のオレの上司だった先生が久保田を研究室出入り禁止にした。けど、久保田は相変わらず飲みにきてた。
大学院の修了作品展では近年の作品の原形となる、車を回す作品を展示して学部の時同様人だかりを作り、大学中で話題となってた。久保田の作品は外に展示されてたのだけど、ガラスを隔てた屋内にあった久保田と同期の学生の小さな作品が粉々に砕けてたのを思い出す。それはおそらく久保田の作品に目を奪われた人に踏まれてしまったから。久保田の作品の近くに展示したらこういう目に遭う事もある。
大学院を出ると久保田は2年以上かけて竹林を開墾し、アトリエを建てるという、東京にいながら北の国からの黒板五郎みたいな事をしてた。あそこには多分竹が千本はあったと思う。手伝いに行ったオレは1日で熱中症でばてた。
そんなエピソードを知った留学生ミヒャエルは久保田をバンブーマンと呼んだ。そのミヒャエルに久保田は酒を一緒に飲む事の意味を伝えようと「酒の一滴は血の一滴」をそのまま「ワン ドリップ リカー イズ ワン ドリップ ブラッド」と伝えてたけど、ちゃんと伝わったかはわからない。それは分からないけど、酒を飲み過ぎたら下痢になるというのを「トゥーマッチ リカー イズ ジャクソンポロック シット」と言ってたのは伝わってた。下痢をジャクソンポロックシットと表現する奴をオレは久保田以外に知らない。それがちゃんと伝わった。この男はすごいとあらためて思った。
ミヒャエルが帰国後、久保田と一緒にミヒャエルが通うフランクフルトのシュテーデルシューレに遊びに行くとミヒャエルが久保田について友人達にいろいろと話してたらしく、既に久保田(バンブーマン)の存在を知ってる人間がいた。到着した日からシュテーデルでは芸祭が行われており、そこで知り合った一人が酔った勢いで久保田に腕相撲を挑んできて、久保田は彼にあっさり勝ったところ、その後次々と挑戦者が現れ列が出来た。20人位いたと思うけど、その20人にも久保田は右左両方でことごとく勝ち続けた。最後に「あいつならバンブーマンに勝てる!!」と言って呼ばれた超マッチョな奴にも久保田は勝ったのだけど、そのマッチョは「あ、ズルした!!バンブーマンは今ズルしたぞ!!」みたいなセコいいちゃもんをつけて強引にしきり直しにさせてようやく久保田から1勝って事もあった。
2003年、オレはムサビのパリ賞を取ってパリに行き、翌年久保田も賞を取ってパリに来た。パリでオレは作品なんか作らないでぷらぷら旅行ばかりしていたのだけど、久保田は到着してすぐに作品を作れないフラストレーションを感じ始めてた。ある柔道教室の師範が趣味で金属を使った彫刻を作ってると聞けば、そのアトリエを貸してもらえるのではないかと期待して柔道教室に体験入学に行ったりして、最初の1ヶ月は作る場所をひたすら探してた。しかしパリに滞在出来るのは1年間だけ。作る場所を探すのは時間がかかると判断して、しばらくしてから、もともとあった背中の吉田松陰の入れ墨を黒い入れ墨で覆っていく、その過程を撮影してそれを作品にするというのを思いついたといってオレの部屋に来た。あまりにも凄いアイデアでビビった。いつも久保田がやる事は凄過ぎるけど、今度ばかりは実行しないだろうと思ってたが、本当に始めた。「思いついちゃったからしょうがないんです」と言ってた。すごい理由だと思った。オレはその過程の撮影を頼まれた。二度と取り直しのきかない撮影だからかなり緊張しながら何枚も撮った。
久保田をオーストリア人のウォルフガングに紹介したところ、ウォルフガングは自分が編集に携わる本の表紙に久保田の入れ墨の写真を使いたいといって久保田をウィーンに呼んでた。
という具合に久保田について覚えてる事を書き始めると止められない位に話題に事欠かない人物(これはまだまだ氷山の一角)。
で、今回久保田はベルリンで制作した作品を日本に輸送して、それをメインに横浜の神奈川県民ホールで展示を行う。輸送といっても持ち歩けるような大きさではなく、旧東ドイツ製の車トラバントがメインのパーツの作品。デカイ。
http://www.bachigai.info/artists/
オレはベルリンで制作途中のその作品を見せてもらった事があるけど、それを日本に運んで展示する事になったと連絡を受けた時はやっぱりすげーな久保田は、と思った。
どんどん突き進んでる。
これを読んでる方で横浜近くにお住まいの方、是非見に行ってあげて下さい(今年芦別の僕の個展に来て下さった芦別出身で神奈川在住のSさん、もし読んで下さってたら是非会場へ行ってあげて下さい!!)。おそらくパフォーマンスを行うのは毎日ではないと思うので日時を確認して下さい。
この日記(?)のタイトルは北野武監督の映画「その男、凶暴につき」のパクリであるのは言うまでもありません。ちなみに「その女、変態につき」というエロビデオもあります。
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