12月13日に掲載して頂いた分でオレの「朝の食卓」執筆者としての2年間の活動は終わりました。自分では掲載回数を数えてはいなかったのだけど、執筆させて頂くにあたりいろいろと力を貸して下さった北海道新聞芦別支局長さんから頂いたメールによると17回書かせて頂いたんだそうで。
掲載して頂く度に、北海道内各地の友人や知人、お客様から「読んだよ」という連絡を頂けて嬉しかった。地元のおばさま達に「ファンだから」と言ってもらえた時には、オレがあと15才若かったら氷川きよし並みにおばちゃんのハートをキャッチするローカルアイドルになれたかもと妄想した日がある事も白状します。
あと、もちろん原稿料を頂けたのもプロになれたようで嬉しかった。
ネットの普及で雑誌や新聞の発行部数は減る一方のようだけど、でもモニターだけに写されてるのと印刷されてあちこちに置いてあるのとでは作り手の嬉しさは全然違うんじゃなかろうか。印刷され、自宅に届く新聞にオレの文章が掲載されてたのは多いにモチベーションを刺激されました。
とはいえ、約6週間に一度の執筆では素人の固さがなかなか抜けず、だからブログで書くような力みのない文章は最後まで書けなかった。
まー力みなく書けたとしても、採用してもらえたかはまた別の話だけど、オレの理想としては自分のバカな経験をさらしてそれを読んだ人に笑ってもらって、その日少しでも明るい気分になってもらえるようなそんな文章を書きたかったので、それが出来なかったのは残念。(あと書き始めてみると、東京や海外で見たり経験した事を書いた時に「読んだよ」「面白かった」の連絡を頂く機会がより多かったので、そこに軸足を置いて書いたところもちょっとある。)
本当はもっと書きたいのだけど、2年間という事なのでこれでおしまい。
またどこかで書かせてもらえないかなー。どなたかそんな場所があれば紹介して下さい。
ゲンコウリョウという響きも素敵だけど、インゼイという響きにも憧れるヨシオカです。
とにかく、2年間とてもいい経験をさせて頂けました。
S支局長、ありがとうございました!
最後に、2年間17回掲載して頂いた文章で一番自然な言葉で書けたかなと思う回(2010年8月28日)の文章をここに転載します。この時の担当さんからも褒めて頂けたのは単純なオレはとても嬉しかった。年内、気が向いたらまた別のも転載します。
「木を材料にすること」
僕が木製玩具を作り始めたのは3年前からだけど、キャリアとしては木彫の制作の方が長く、かれこれ20年程続けている。
木彫を作ってるとエラそうに言いつつ、僕は彫りたい形が決まっていても、いざ材料となる丸太を目の当たりにすると、「この木を彫ってこの木よりカッコいい形を作れるのだろうか?」と必ず考えてしまい、なかなか彫り出せない。木は、どんな木もとてもカッコいい形をしている。結局、その自問にいつも答えを出せないまま、展覧会までの時間に押されて彫り始める。
最近、玩具で大きな注文を頂き、たくさんの材料を購入した。玩具用に加工している木は製材されているせいか、木彫用の丸太のように林立する木をほとんど感じていなかったのだけど、今回木材を見ているうちに、ふと「おまえはこれだけの樹木を切ったのだぞ」と言われてるような気がした。ここに木材があるということは、どこかの森がその分減ったということだ。
「僕が木を加工して物を作るのは何故だろう?」と考えてみたけど「木が好きだから」以上は答えられない。相変わらずだ。きっとこうした自問にはいつまでも答えられない。ただ、こういう自問を経てから作る物には意味があると勝手に思っている。そして木彫も玩具も完成したものを見ると作って良かったといつも思う。
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