今日はオレが担当しました。まだ読んでない人は北海道新聞販売所へ急げ!!
今回の文章は、オレと会ったことがない人にとってはオレが素敵な人、素敵なパパに思える文章でしょう。そして会えばきっとがっかりするのでしょう。
それにしても昨年1月、「朝の食卓」にて初めて文章を扱って頂いた時は、嬉しくて新聞を2部も買ってたのに(いわゆる「見る」用と「とっとく」用)、最近はたった一部さえ、1度読んだらどこへ置いたかも分からなくなってしまってる。慣れとは恐ろしい。罰が当たってしまうかもしれない。
オレが「朝の食卓」を書かせて頂けるのは今年一杯だから、あと5回くらい。これからたまに、今までに掲載された分をここに更新していきます。
今回は昨年1月12日に掲載された、記念すべき第一回目の文章と、オレの紹介文を掲載させて頂きます。北海道新聞紙上でのオレの肩書きは玩具デザイナー。そんな素敵な肩書きを使っていいのかなと思いつつ、拝命頂いたのでありがたく使わせて頂いております。
2010年1月12日
「玩具を作るわけ」
一昨年夏、東京から19年ぶりに郷里・芦別に戻って彫刻と玩具を作る生活を始めた。
東京に出たのは美大進学のためだったのだけど、当初は美大での創作活動よりも教員志望の方を強く意識し、卒業後すぐに北海道に戻って教員になるつもりだった。しかし、卒業後に東京で教育現場に身を置いたものの、大学で物作りの楽しさに魅了され、教員と物作りのどちらで生きるか迷い続けていた。
決心がついたのは子供が生まれた時。玩具を作り始めたのも子供の影響が大きい。この文章が紙面に載るころ2人目が誕生するのだけど、その子が生まれた後玩具作りへの思いはもっと強くなると思う。
故郷に戻って玩具を作るなんて上京前には思ってもいなかった方向に人生が進んだ。何かある度に少しずつ舵を切っていったが、19年の歳月を経て随分違うところにたどり着いたように感じる。
それでも北海道の自然の中で子供を育てたいという希望は実現出来てそれはうれしい事。実は北海道を拠点にして物作りで生きるという決心に至ったのは、田舎者の僕には東京で子供を育てるというのは全く想像がつかない事だったというのも大きな理由だった。
子供には広いところで思いっきり遊ばせたい。上京前に考えていた事が一つは実践出来ているのだから、それはそれでよしとしている。(玩具デザイナー)
よしおか・しげと 芦別市出身。大学を卒業後、渡仏。その後、東京都内の私立小学校勤務を経て、2007年から実家の吉岡工房で、デザイナーとして活動。彫刻家として個展も開く。38歳。