月曜日(26日)の朝、目が覚めてすぐに静かすぎる外の気配に嫌な予感がしたので、恐る恐る玄関を開けた。
外が静かに感じる時は雪が積もってる時。
外の景色を見てビビった。雪が膝より上まで積もってた。しかも降り続けてる。
オレの職場は私有地の山の中腹にあるから公道のように市の除雪が入らない。そのため公道までの道を自分で除雪しなくてはならない。
そんな訳で、まだ暗い中車を出してすぐに職場へ。
除雪しなくてはならない場所は一車線の幅(3メートルくらい)×150〜200メートル程の長さの坂道。
結構長い。そして除雪機があるのは職場の倉庫。だからまずそこまで雪をこぎながら坂道を登らなくてはいかん。
山のふもとに車を止めて、そこから膝が埋まる深さの雪をこぎながら坂道を登り、6時半から除雪開始。
雪をこいで登ってる時は映画の「八甲田山」と、何故か「二百三高地」を思い出して、さだまさしの「おしえてーくださいー」が頭の中で鳴ってた。
ホント、なんでこんなに一遍に雪が降るのか教えてほしいよ。
除雪が終わったのは11時過ぎ。その日の芦別の降雪量は60センチでニュースにもなってたらしい。
雪が60センチも積もるようなおかしな日には、他にもおかしな事が起こる。夜、おかしな走り方をするレクサスを見た。赤信号でオレの前に止まってたのだが、信号が青になってもアイスバーンになった路面でスリップしてなかなか走り出さず、ようやく進んでも、後輪がスリップしながら車体を押すから(レクサスは後輪駆動らしい)後部が左右にフラフラして車体が斜めになり、でも斜めになりながらも前に進む。「その向きでそっちに進むのかよ!」と突っ込まずにはいられなかったその不思議な走行は将棋の桂馬のように思えた。
スピードも15キロも出てないから抜きたいのだけど、予測不可能な桂馬走行と、以前高級車に乗ったそちらの人にボコボコにされた体験記をここに書いたばかりだったからそのレクサスに乗ってる人もそちらの人かもしれんと思ってしまって(白いレクサスだった)、怖くて抜けんかった。
しかし、高級車のレクサスがあんな姿で走ってるのを見てしまってちょっとショックだったよ。いくら高級車でも場所を選ばないと、ボロボロのステップワゴン(オレの車)以下、何台も渋滞を作る醜態をさらす事になる。それで運転してるのが本当にそちらの人だとしたら、本当にシュールな状況だ。クラクションを鳴らそうもんならやっぱりキレられるんだろうな。
とはいえ60センチは降り過ぎだ。しばらくは降らんでほしい。
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前回触れた北海道新聞のコラム「朝の食卓」2011年3月5日に掲載して頂いた文章を転載します。
ここで触れてる「富山の友人」とは、このブログでも以前触れた岩崎努という大学で同期の彫刻家。
木彫岩崎/岩崎努の世界
「朝の食卓」の執筆にあたり、当初の目的だった自分のバカをネタにした文章は残念ながら書けなかったけど、岩崎他、制作でオレが刺激を受けてる人は結構紹介出来たように思う。
「富山の友人」
先日、富山に住む友人と久しぶりに電話で話した。彼は、欄間の彫刻で有名な富山の井波彫刻を学んだ木彫家で、とても緻密で繊細な作品を丸太から彫り出す。丸太は表面が乾いていても、中は水分を含んでいるため、一気に彫ると必ず割れる。彼の作品にとっては小さなヒビも致命的なダメージとなるため、彼は乾燥の度合いを見ながら、何カ月もかけて彫り進めていく。
木の性質を踏まえたこうした技術について、僕は、彼や木工職人に遠く及ばない。僕の玩具はわが子に遊ばせたいという思いから、半ば我流で作り始めたものなので、今そこに差があるのはしょうがない。これから磨きをかけていこうと思う。
電話をした日は休日だったが、彼は制作をしていた。聞けば、ノミを持たない日はないとのこと。彼はその道に入って14年になる。著名な賞を受け、彫刻の制作だけで家族を養い、立派な工房も建てた。にもかかわらず、昨年初めて開いた個展について「やっとスタートラインに立てた」と言う。
最初、彼がすごくストイック(禁欲的)に制作しているように感じたけど、話しているうちに、休まないのは常に楽しんで作っているからでは? と思った。以来僕も楽しむことを意識しながら作るようにしているけど、それは技術を身につけるのと同じくらい難しい。
Posted at 09:11 PM | Permalink | Comments (0)
12月13日に掲載して頂いた分でオレの「朝の食卓」執筆者としての2年間の活動は終わりました。自分では掲載回数を数えてはいなかったのだけど、執筆させて頂くにあたりいろいろと力を貸して下さった北海道新聞芦別支局長さんから頂いたメールによると17回書かせて頂いたんだそうで。
掲載して頂く度に、北海道内各地の友人や知人、お客様から「読んだよ」という連絡を頂けて嬉しかった。地元のおばさま達に「ファンだから」と言ってもらえた時には、オレがあと15才若かったら氷川きよし並みにおばちゃんのハートをキャッチするローカルアイドルになれたかもと妄想した日がある事も白状します。
あと、もちろん原稿料を頂けたのもプロになれたようで嬉しかった。
ネットの普及で雑誌や新聞の発行部数は減る一方のようだけど、でもモニターだけに写されてるのと印刷されてあちこちに置いてあるのとでは作り手の嬉しさは全然違うんじゃなかろうか。印刷され、自宅に届く新聞にオレの文章が掲載されてたのは多いにモチベーションを刺激されました。
とはいえ、約6週間に一度の執筆では素人の固さがなかなか抜けず、だからブログで書くような力みのない文章は最後まで書けなかった。
まー力みなく書けたとしても、採用してもらえたかはまた別の話だけど、オレの理想としては自分のバカな経験をさらしてそれを読んだ人に笑ってもらって、その日少しでも明るい気分になってもらえるようなそんな文章を書きたかったので、それが出来なかったのは残念。(あと書き始めてみると、東京や海外で見たり経験した事を書いた時に「読んだよ」「面白かった」の連絡を頂く機会がより多かったので、そこに軸足を置いて書いたところもちょっとある。)
本当はもっと書きたいのだけど、2年間という事なのでこれでおしまい。
またどこかで書かせてもらえないかなー。どなたかそんな場所があれば紹介して下さい。
ゲンコウリョウという響きも素敵だけど、インゼイという響きにも憧れるヨシオカです。
とにかく、2年間とてもいい経験をさせて頂けました。
S支局長、ありがとうございました!
最後に、2年間17回掲載して頂いた文章で一番自然な言葉で書けたかなと思う回(2010年8月28日)の文章をここに転載します。この時の担当さんからも褒めて頂けたのは単純なオレはとても嬉しかった。年内、気が向いたらまた別のも転載します。
「木を材料にすること」
僕が木製玩具を作り始めたのは3年前からだけど、キャリアとしては木彫の制作の方が長く、かれこれ20年程続けている。
木彫を作ってるとエラそうに言いつつ、僕は彫りたい形が決まっていても、いざ材料となる丸太を目の当たりにすると、「この木を彫ってこの木よりカッコいい形を作れるのだろうか?」と必ず考えてしまい、なかなか彫り出せない。木は、どんな木もとてもカッコいい形をしている。結局、その自問にいつも答えを出せないまま、展覧会までの時間に押されて彫り始める。
最近、玩具で大きな注文を頂き、たくさんの材料を購入した。玩具用に加工している木は製材されているせいか、木彫用の丸太のように林立する木をほとんど感じていなかったのだけど、今回木材を見ているうちに、ふと「おまえはこれだけの樹木を切ったのだぞ」と言われてるような気がした。ここに木材があるということは、どこかの森がその分減ったということだ。
「僕が木を加工して物を作るのは何故だろう?」と考えてみたけど「木が好きだから」以上は答えられない。相変わらずだ。きっとこうした自問にはいつまでも答えられない。ただ、こういう自問を経てから作る物には意味があると勝手に思っている。そして木彫も玩具も完成したものを見ると作って良かったといつも思う。
Posted at 11:22 PM | Permalink | Comments (0)
何故か自宅にアフロのヅラがあった。
子供に被らせてみた。
長男が選んだのは黄色のアフロ。
被らせたらミュージシャンぽく演出したくなり、サングラスをかけさせてギターを持たせてみた。
長男は頼みもしないのにポーズをつけてくれた。
次に黒のアフロを娘に。三頭身になっちまったぜ。
やっぱりサングラスとギターが必要だ。という事でアンパンマンのギターを持たせてみた。
写真を撮ってたら、
アフロ + サングラス + ギター = レニー・クラビッツ
という流れでレニー・クラヴィッツのAre you gonna go my wayを思い出し、オレの頭の中で鳴り始めた。
超カッコいい曲で名曲だ。
だけど、学生時代、友人・松本次郎君がこの曲のギターのフレーズを「ピーヨコちゃんがちゃらーら」と歌ってたせいで、20年近く経った今でもその曲を思い出すとこの言葉も思い出し、そしてしばらく頭の中で鳴り続ける。
今も鳴り続けてる。
Lenny Kravitz "Are You Gonna Go My Way"
ピーヨコちゃんがちゃらーら
ピーヨコちゃんがちゃらーら
ピーヨコちゃんがちゃらーら
ピーヨコちゃんがちゃらーら
Posted at 12:07 AM | Permalink | Comments (0)
旭川の木工クラフトを海外で売り出そうというプロジェクトに参加させてもらってる事をここで度々書いてますが、そのプロジェクトの中でオレのグリップカーがシンガポールのお店で置いて頂ける事になりました。
お店の写真を見せて頂きましたが、オレにはとても入れなさそうなおしゃれなお店です(写真が手に入ったらここで紹介させて頂きます)。
この玩具の価格は税込で¥2,940-(日本国内の価格)。
形はセダンとバスの2タイプ、色はレッド×オレンジ、ブルー×グリーン、レッド×ブルー×イエローの3タイプあり、サイズは高85×幅75×長138mm、対象年齢は0.5〜2才です。
パリでも同プロジェクトの展覧会が企画されており、そこでもこの玩具が売り出される予定です。
材料に見えるカラフルなストライプは塗装ではなく木材に挟まれた紙の色です。この材料は地元の合板メーカー・滝澤ベニヤさんが開発し、昨年グッドデザイン賞を受賞された「ペーパーウッド」という合板と紙を積層した新しい合板です。
現在この材料を使った新製品の試作を進めております。完成次第、またここでお知らせさせて頂きます。
Posted at 01:13 AM | Permalink | Comments (0)
20年前に暴力団関係者と思われる人にボコボコにされた時のお話。
それは大学1年の春休みにやっていた道路工事の警備員のバイト中の出来事。
その日はそのバイトを初めてまだ3回目だったにも関わらず、T字交差点のど真ん中に立って三方向に指示を出す一番重要なポジションを任された。
場所は日野の多摩テック近く。工事現場は左右に延びる道と多摩テックに繋がる道がぶつかる交差点(T字を逆にした形)の左手側で、左から右方向に進む車線を結構長い距離(100メートル以上あったように思う)で工事していた。
確か午前2時過ぎ。左側から車が来てる、通していいかとの連絡が入ったので、前と右側の道を担当してる警備員に車が来ても止めるように指示をして、左側からの車をそのまま進ませるよう指示を出した(片側の車線を交互に使ってるため、一方向ずつの車しか入れない)。
数秒後、工事で狭くなった道からその車が出かかった頃に右側から車が近づいてきた。信号は赤。だがそこにいる警備員が何も指示を出してないのをGOサインとでも思ったのか、信号を無視してその車は進んできた。そして左側から来た車とオレの目の前で側面接触。
深夜で静まり返っていたのもあり、接触した時に派手な音があたりに響いた。
幸い両ドライバーとも怪我はなかったが、それで一安心つける状況にはならなかった。ぶつけられた白い高級車から、革靴のかかとを踏みつぶした一見してそちらの人と分かる風貌の男が降りてきたのである。
オレは左からの車(白い高級車)を流す指示は出したが、右には出してない。しかも信号は赤。だから右から来た車が信号で止まれば事故は起こらなかった。悪いのはその車のドライバー。
だが、オレは目の前ですげー音を立てて接触した事故を見てテンパってしまい、自分が止めなかったせいだと思って白い車から降りてきたその男に近づいて謝った。謝ってしまった。それがいけなかった。
奴はオレを蹴り上げた。
正直言うとそれ程痛くはなかったが、痛がった方が奴の怒りは収まるんじゃないかと瞬間的に考え、ジャッキー・チェンの映画並みにオレは派手に吹っ飛び、悶絶してみた。
逆効果だった。
奴はオレが吹っ飛ぶ事に快感を覚えてしまったようで、立ち上がったオレに近づいてきて再度蹴りを入れてきた。
これはいかんと思い、咄嗟にヘルメットをとって謝る事にした。
オレはヘルメットをとった。
数日前、オレは門脇に髪を切ってもらってた。
大学に入ってからはいつも門脇に切ってもらってた。大抵はGIカットだったのだが、その時オレは門脇に任せると言って頼んだ。頼まれた門脇は、せっかくだから誰もしてないパンクな髪型にしましょうと言ってバリカンを入れた結果、門脇曰く「お皿カット」という髪型に仕上がった。横と後はスキンヘッドで頭頂部にカッパの皿を乗せたように丸く髪が残った髪型だ。確かに誰もしていないオリジナリティ溢れる髪型だ。しかしこの髪型をもう一度頼む事はないだろう。
ヘルメットをはずしてそのお皿カットの頭で謝った時、その暴力団風の男の怒りの方向が変わった。
「てめー、なんだその頭!!ナメてんのか!!」
蹴り、蹴り、蹴り・・・。
いえ、決してナメてる訳ではございません。誠意を見せようとしてるだけです。
監督さんが走ってきてその男を止め、事情を聞くが怒りが収まらない。工事現場は仕事が全てストップ。警察が到着。その男は警察と話をする前に「てめーに後で一筆書いてもらうからな」とお皿頭のオレに言ってきた。それを聞いていた監督さんが「奴が見えないところで隠れてろ」と言ってくれたので、お皿頭をさらしたまま工事現場から見えない公衆電話まで逃げた。そして警備会社に事情説明の電話を入れた。
翌日、会社に呼ばれてお皿頭で始末書を書かされた。
教訓
お皿カットで警備員をやると大変だよ!!
それにしてもなんでああいうタイプの人が被害者になってしまう、そういう場所にオレは遭遇してしまったのだろうか、という思いは今も消えない。オレは運がいいのか?悪いのか?
そういう思い出。
真面目な話もちょっと書いておくと、警備員が道路でやってる事は「交通誘導」といい、警察がやる「交通整理」と同じように見えて、意味がちょっと違う。
警備員がやっていることはドライバーに協力してもらって成り立つ行為であり、強制力はないし、信号機があった場合、その信号機を無視した誘導も出来ない。警察の指示は強制力があるし、信号機よりも優位。つまり、警察>信号機>警備員、という関係になる(と教わった記憶があるが絶対的な自信はない)。これを逆の見方をすると、警備員の誘導に従って信号を無視して事故にあったとしても警備員には責任はないという話。警備員と警察のそれは似て非なるものです。だから皆さんもその辺の認識には気をつけて下さい。
だからか、もし事故があっても絶対に謝ってはいけないと事前の研修では指導される。警備員が謝った場合、責任の所在がややこしくなるという事なのかのかもしれん。
オレは謝ってしまった。その男がオレをターゲットにしたは、そういうからくりを知ってたからなのかはよく分からんけど、オレの責任どうのこうのという事にはならず、始末書は書いたけど翌日からも仕事をもらえた。ただ同じ現場だと奴が探しにくるかもしれないと言われ、オレが希望した現場は当時住んでいた立川近辺の日野八王子方面だったのだけど、それ以降は中野方面になった。
まあ、エラい目に遭ったけど、当時はまだ日本がパブリーな時期だったので、夜勤一回で確か¥16,000-(¥2,000-/時×8時間)とそれ以外に月曜日から金曜日まで5日連続で勤務したら皆勤手当として¥10,000-/週が出たし、仕事が定時に終わる事はほとんどなく残業代もたくさんついた。だから2ヶ月びっちり入って80万位稼がせてもらったそんなオレのバブリーな思い出でもある。
Posted at 07:49 PM | Permalink | Comments (0)
オレは普段ほとんど人と接点のない生活を送ってるのだけど、先週金曜日はその反動みたいな一日だった。
前日までに9時と11時と13時に地元のお客さんと打ち合わせ、17時に旭川のお客さんと打ち合わせ、18時半から同じく旭川で会議という予定が入ってて、その時点で既に皆さんとちゃんと話が出来るだろうかとビビってたのだけど、当日の朝になって札幌での浪人時代にお世話になった予備校のN先生から「今、芦別にいるのだけど」という突然の電話を頂いたので急遽10時からお会いする事にし、さらに14時頃に富良野在住の画家イマイカツミさんから「これから芦別を通過するのですが会えませんか?」という久々の連絡を頂き15時に芦別の道の駅にて会った。
営業の仕事をしてる方々だとこんなスケジュールは当たり前の事なんだろうけど、オレの人生では太陽系の惑星が一直線に並ぶくらいの確立の一日だったと思う。
10時にお会いしたN先生とは5〜6年ぶりの再会。芦別で開催されてた道展(←どうてんと読みます。日展みたいな言葉。)の巡回展の関係で芦別にいらっしゃってた。
展示会場に行ってN先生に挨拶した後、N先生は地元芦別の画家・石岡剛先生にオレがN先生の教え子である旨説明して下さったのだが、その際「社交性ゼロの男ですが、かわいがってやって下さい」と言われてしまった。まあ、そこが欠けてるのは自覚のある事だしオレも社交的な人間になれるものならなりたいけど、しかしどうしたらいいのだろうか?オレが今の生活で会えるのは毎朝娘を送ってる保育園ですれ違うママさんたちだけだ。ママさんと会話するにはどんな話題を出せばいいのだろうか?オレにはその時点で既にハードルが高い・・・。
15時からお会いしたイマイさんは作品制作のために約一ヶ月間オーストリアに行ってた。随分前にそんな予定を聞いてたけどすっかり忘れてたので、「戻りました」と言われた時はものすごく羨ましくなった。
イマイさんはガツガツ営業してる感じはしないけれど、仕事が繋がっていく印象のある人。今オレが北海道新聞で書かせて頂いている「朝の食卓」もきっかけはイマイさん。イマイさんはオレの1年前から昨年まで書いてて、今はネット上で文章を書いてる。個人的なブログではなく仕事として執筆中。羨ましい。
やはり社交性の差か?
半農半画家イマイカツミの耕作生活 やればできる(はず)日記
お土産で頂いた塩が開封する前からすげーいい匂いがしてて開けるのが勿体ないから、今はたまに鼻を近づけて匂いをかぐ、そんなちょっと変な使い方をさせてもらってる。
イマイさん、ありがとう。
18時半からは旭川のクラフトを海外で売り出そうというプロジェクトの会議に出席。オレは芦別の人間ながら参加させて頂いてる。会社や作家さん等、その単位はいろいろだけど、20団体くらいが参加していて、月に一回のペースで全体会議がある。
海外で売り出すにあたってその道のプロフェッショナルの方々も東京からいらして販売戦略をお話しされるのだが、そのお話しを聞いてると自分の「作る」と「売る」の意識のバランスの悪さを痛感させられる。話を聞きながら自分を振り返るとそこの力配分が9:1くらいに感じてしまう。多分オレに限らず、物作りが好きな人は作品を完成させるところにゴールを設定してるか人がほとんどだろうから、良くてもせいぜい8:2くらいじゃなかろうか。作り上げたところでもう疲れ果ててると思う。
だから売るのはその道のスペシャリストに力をお借りするのが効率的なのは間違いないのだけど、それにしてもその方々に自分が何をしたいのかをしっかり伝えなければいけない訳で、やっぱり必要なのは社交性でしょうかね?
そんな「社交性」がキーワードな一日だったけど、でもとりあえずオレが作った玩具はシンガポールのおしゃれな店で置いてもらえそうな感じです。オレの社交性はゼロに近いけど、ゼロではなさそうだ。
Posted at 02:06 AM | Permalink | Comments (0)
1週間前、以前ここで触れさせて頂いた芦別出身のノンフィクションライター角幡唯介さんの講演会が地元で開催されたので聞かせて頂いた。
芦別は北に旭川、東に富良野という全国に知名度のある自治体と隣接しているせいで、簡略化された北海道地図ではそれらの地名は表記されても芦別は省略される場合が多く、そんな地図を見ると屈辱的な気持ちになったりもするのだが、個人として全国的に知名度のある人は町の規模以上に輩出しているように思う。角幡さんも「空白の五マイル」で開高健ノンフィクション賞を受賞された後、その一人としてその名前を出される存在になったに違いない。
曲がりなりにも同じく表現活動をしている者として本音を言えば、自分がそちら側に行けないのは悔しく、講演会を開けば人が集まってくるその人に嫉妬があるけれど、いざ話を聞くと自分がそちら側にいけない差、人間としての魅力や活動にかける熱意の差を圧倒的に感じさせられた。
今回2時間程の講演で角幡さんが語ったメインの話題は、荻田さんという「北極バカ」と紹介された方と100日以上かけて北極圏を1000キロ以上歩いた「旅行」について。オレにはそれは旅行とはとても思えん行程なのだが、角幡さんがブログで北極圏徒歩旅行と表現しているので、角幡さんにとってそれは旅行なのだろう。
講演を聞くにあたりオレは角幡さんの話を記録しようと思い、ノートとペンとカメラを持って前から2列目に座ったのだけど、話を聞き始めてすぐに聞く事から意識をそらしてカメラを構えたりメモを取るのが勿体ない気がしてしまうくらいに、かつて聞いたことがない話に引き込まれた。結局それらを使わず聞き入った話を一週間経って思い出そうとすると、ディティールが思い出せなくてちょっと後悔してるのだけど、それでも凍傷とヘルペスで唇がパンパンに腫れ上がったセルフポートレイトや、やはり凍傷で足の指が紫色になっている写真等をスクリーンに映し出しながら語られた体験談は一生忘れる事がないであろう、強烈なものだった。唇が腫れ上がった写真を見た瞬間は「あしたのジョー」でジョーが減量の極限状態で唇がパンパンに腫れ上がってしまうシーンを思い出した。マンガじゃなくてもああいう唇になるのを初めて知ったよ。あの絵も初めて見た時はマンガとはいえ強烈だったけれど、パンパンに腫れてあり得ない色に変色した唇に、傷口から流れ出た血が5センチ程の長さの赤いつららになってぶら下がっている、そんなセルフポートレイトは強烈に目に焼き付いた(角幡さんは過去の探検で痛めた足に血行障害があるために今回血行促進剤(?)を服用しながらプロジェクトに臨んだらしいのだが、その促進剤の影響で巡りが良くなった血が唇の傷から吹き出し、それがつららになったらしい)。
そんな話や夜中テントに近づいて来たホッキョクグマを追っ払おうと荻田さんが「てめぇぶっ殺すぞ!!」と言って携行していたショットガンをぶっ放しながら二人でホッキョクグマを追いかけた話、そもそも何故探検をするようになったのか等を随所に笑いを交えながら、今は元に戻った口で語ってくれたのだが、今回の二人の「旅行」はかつてそこを探検して全滅した外国の探検隊の足跡をトレースするようなルートだとも説明されていた。その隊は最期、カニバリズムで命をつなごうとしたらしい。時代が違うとはいえ、二人はそこをトレースしていたのだから、彼等も一歩間違えば遭難し命を落とす危険があったに違いない。もしそうなってどちらかが絶命した場合、彼等もその隊と同じ現実を突きつけられる。
二人が無事で帰ってきたから、パンパンの唇に血がつららになってぶら下がってるセルフポートレイトも、ホッキョクグマに襲われかけた体験談も笑いに変えて伝えられるけど、角幡さんも荻田さんもやっている事は間違いなく命懸けだ。
彼等のような探検家の場合、次なる刺激を求め続けていくと、生と死の狭間にどんどん近づいていく活動になっていくはず。オレなんかに言われるまでもなく、当人はそれを強く感じているんじゃないかと思うけど、それでもやっぱり続けるんだろうな。
オレにはとても出来ん事だけど、取り憑かれたように行動し、何かを生み出す人に魅力を感じてしまうオレとしては、是非ともこれからも活動を続けて、そしていつも無事で帰ってきてほしいと思う。
Posted at 12:15 PM | Permalink | Comments (0)
日曜日に北海道新聞「朝の食卓」にて文章を掲載して頂きました。今回の文章は自分の専門領域から離れたせいか、書き上げるのに一番時間がかかってしまった。
オレが書かせて頂けるのは来月あと1回。正直言うと、来年以降も書かせて頂けるチャンスがほしいです。
先月末にあった話をもう一つ。
オレしか家にいない時にインターホンが鳴り、「近所の○○です。挨拶に来ました。」と言われた。
本当に近所に住んでる方の名前だったから、そのつもりで玄関開けたら「読売新聞です。販売店の○○から来ました」と言い直す。
読売新聞の販売店の家主が近所の方と同じ名前で(←未確認)その名前を出したという事のようだが、インターホン越しには読売新聞の「よ」の字も言わなかった。
3年前とは違う人だったが、まぎらわしい言い回しでドアを開けさせるという姑息な手口は同じだった。
出てきたのが190cm近い男だったのが予想外だったのか、相手は前回嫁にしたように強引に景品を握らせるような事はしてこず大人しく帰ったけど(でも景品がもらえる応募ハガキみたいなのは置いていった)、全く油断が出来ない。
同じ頃、自由報道協会が主催した小沢一郎元民主党代表の記者会見で読売新聞記者がルール違反をしたというので、それに関連した記事がネットにいくつもアップされてた。オレは馬鹿だし両者のそれまでの関係がよく分からんから、動画を見ても、読売の記者のしゃべり方に気持ち悪さを感じたのと、中学生みたいなキレ方してた上杉隆氏に引いたくらいの表面的な印象しか持てなかったのだけど、その出来事はオレにとって新聞の売り込みと同時期の読売新聞つながりの事だったので、二つはセットで頭に残った。きっと、ジャイアンツが日本シリーズで4連敗した直後に売り込まれた1990年の時と同じように、名前を伏せる姑息な売り込み方と気持ち悪いしゃべり方の記者はつながったままずっと頭に残ると思う。
今回の売り込みは前回とは違い、強引な言い方はしなかったけど、それにしてもあんな方法だったら一度は契約してもらえても二度目は絶対に契約してもらえず、結局自分の首を絞める事になると思うのだけど。
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