前回の日記で書いた東京出張の翌日、「旭川木工コミュニティキャンプ(以下AMCC)」というイベントへの参加のため旭川へ行ってきた。
AMCCは、木製品の開発を進めるデザイナー、木工職人、木製品製造業者、木製品を扱う問屋や小売店等、木製品に携わる様々な業種の人が日本全国から集まる交流の場で、そこでいろいろな人と接点を持ち木工業界の血の流れをもっと良くしよう、そんなコンセプトのもとで3年前に立ち上がったプロジェクト。年に一回の開催が10年間続くAMCCは今年が3回目で、参加者は80人程。オレは初めての参加。
キャンプ(=合宿)という名前の通り、AMCCのスケジュールは2泊3日の予定で組まれているのだけど、オレは東京出張が重なっていた事もあり、1日だけ参加させてもらった。オレが参加した15日のスケジュールは、2回以上参加している人と、初参加の人とで別に組まれていて、初参加の人は森に入って木の間伐を実際に体験する事になっていた。場所は「森の小径ファーム」で、ガイドして下さったのは「もりねっと」というNPO法人の方。
旭川も、オレが今住んでいる芦別も、昔は直径が1mを越えるミズナラの大木が多数生い茂っていた場所で(芦別の市の樹はミズナラ)、良質なそれは小樽港からヨーロッパに向けて家具用の材料として輸出されていたんだそうだ。資源のほとんどを輸入している日本の現状を考えるとなかなか想像がつかない事だけど、オレの両親はその頃の話をたまにするし、そう遠い昔の話でもないらしい。
その森からは、晴れていれば北海道で一番高い山、旭岳が一望出来るそうなのだけど(その日はずっと雨が降っていたので見えなかった)、130年前、そこに入ってきた開拓者達がそこから旭岳が見える事に気がついたのは入植後3年経ってからだったんだそうだ。それくらいそこはミズナラの大木が生い茂っていて、その大木をバッサバッサと切り倒していって3年で見えるようになったという話。それが今では、家具として使うにはまだまだ細い(若い)ミズナラしか残ってない森になってしまっていて、それらが家具として使える程の大きさになるには最低100年待たなければならないらしい。それでも130年前に生い茂っていた木に比べるとまだまだ細いんだそうで。
当時は環境への影響等よく分からずにやっていた事だとは思うけど、その話しを聞いて、人間はエラいことをしたんだなとつくづく思ったよ。
その後、間伐する場所へ移動。
その森のオーナーさんは130年前の森のようにミズナラが沢山生い茂った森にしたいと考えていらっしゃる事もあり、そこでもまず育てていきたいミズナラを選び、次にそのミズナラやその周囲をよりよい状況にするにはどの木を切れば良いのかを参加者皆で考え、選んだ一本(シナ)を、もりねっとの方が切り倒した。木は切られる時に動物のように激しく抵抗して生きながらえようとしたりはしないけど、でも今そこにしっかり立っている木を切り倒すというのは、それがたった今まで生きていたと生々しく感じる場面だった。メキメキメキっと音を立てながら倒れていくその木を見ている時に、首がゴロンと転がり落ちる、切腹の後の介錯が頭に浮かんだ。
とはいえ、そんなセンチメンタルな気持ちを最優先して間伐をやめてしまったら森が育たない。
とにかく一度人間が手を入れた森はずっと手を入れていかなければならないようだ。
オレは仕事柄「間伐材」という言葉をよく耳にする。そのせいか、それを理解している気になっていたようで、当初は今更それを見たところで自分の何かが変わるとは思ってなかった。けど、実際に木を切り倒す光景をたった一本だけでも見てみたら、今までよりも深いところから木や自然、あと、食べ物の事を考えるようになった。
それから、木を切る前、もりねっとの方が木の根元に斧を立てかけて、木に向かって手を合わせていたのが印象的な光景だった。
手を合わせる、頭を下げる、心の中で感謝の言葉を述べる、人によってその行動に違いはあるだろうけど、立木を切る仕事をしている人にとって、ああいう行動はおそらくどんな人でもごく自然に沸き上がってくるんじゃないかと思う。参加者も皆、同じように手を合わせてた。
切った木の樹齢は70年程で、直径は25cm位、樹高は約18m。そうして切った木の使い道はいろいろとあるけれど、今回の木はしっかり乾燥させた後、オーナーさん宅の暖房用の大切な燃料になる。
飛行機をよく利用する人だったら気がつく人が結構いると思うのだけど、上空から日本を見るとビックリする程いろいろなところにゴルフ場がある。北海道から東京に向かうと、着陸態勢に入って低空を飛ぶ領域にあるせいか、千葉や茨城等、北関東のゴルフ場は特に多く目につく。オレはゴルフをしないからその楽しさがよく分からんけど、しかし、あんなに作らんといかんのか?といつも思う。そんな事を以前、同じ職場にいたゴルフ好きの上司に話したら「ゴルフ場は森としては使い道のない場所を選んで作られてる。全く問題ない。そんな事気にせずヨシオカもゴルフを楽しめばいい。」と言われたのだが、あれだけ多くのゴルフ場が全てそのような理由で作られてるとは思えないし、ゴルフ好きな人間の都合のいい言い訳だとしか思えなかった。普通は誰だってそう思うと思うのだけど、それさえ気づかずにゴルフ場は自然を破壊していないと言い切るその姿は、妄信的、狂信的にさえ思えたので、もはや手遅れかもしれんけど、木製品に携わる人間に限らず、そういう人にもこのプロジェクトに参加してもらいたいと思ったよ。
とにかく、1日だけだったけど、参加してよかった。