知り合いのご好意により、近日中にデカいポプラの木(直径50cm、長さ4メートル)を頂ける事になった。ありがたい。
オレはポプラを彫った事がないからポプラが木彫に向いてるのかどうかは知らんけど、数年寝かせてあるらしいからノミを入れたら水がしみ出てくる、なんて事はおそらくないだろう。それで十分だ。贅沢は言ってられない。大きな木が手に入るだけでも感謝である。クスだろうがケヤキだろうがポプラだろうが木は木である。オレは木が彫りたいのである。
幸か不幸か東京では彫るに至らなかった作品のネタがいくつかある。
作る場所はいくらでもある。屋外だけど、雪が降るまでまだ時間がある。それまでに屋内に入れられるサイズまで彫り進めればよい。ホイストはないけど三又とチェーンブロックならある。あとはリフターさえ手に入れれば移動出来るし、制作を始められる。
問題ない。
ここで問題なのは発表する場である。
それは物理的な空間という意味もあるが、状況とか空気といった意味の方が強い。
ここら辺の町(総称して空知(そらち)という)には閉塞感とか気力のなさとか、そういうネガティブな空気が漂っていて何か新しい事をやろうという動きが感じられない。個人個人では面白い事を考えている人はたぶんいると思う。が、それが繋がっていかない。繋がらないから地域にそうした空気が広まらない。アートについても同じ状況である。
都会に比べるとアートに触れる機会が少ないからしょうがないところもあるだろうけど、それにしても、と感じてしまう。前回の日記で触れた、しょーもないモニュメントが作られてもさして気にしないのもそういう町の雰囲気が反映されているからであろう。それは別の言い方をすると、採用されたのがオレの作品であってもあまり関心を持たれなかったという事にもなるのだが、とにかく状況としてはあまり芳しくない。
ところが隣町の富良野はその辺りの状況がかなり違う。
町自体の大きさはオレが住んでる町と大して変わらないにも関わらず、何か面白い事をしようという活気がある。
この違いは何なのか?もともとそうした気質を持っている町だったのか、それとも倉本聰氏が住み「北の国から」のロケ地になった事や、かつてはワールドカップが開催されプリンスホテルが併設された大きなスキー場がある事等からそうした空気が入ってくるのか。とにかくオレが住む町と雰囲気が全然違う。その空気にあやかりたくてこちらに引っ越して来てからほぼ毎週、富良野をさまよい、そこに繋がる接点を求めていたのだが、そうしているうちに<Furano Cafe>というカフェを見つけ、以来富良野に行くと必ずお邪魔している。
そのカフェは店内にガラス作家の作品等が展示されている。それが気になりお店の方に話しかけたのがきっかけでオレが彫刻を作っている人間である事も話したところ、店内を展示の場として使って下さいと言ってくれた。
ありがたい。
さすがにカフェに巨大な作品を置くわけにはいかないから、それはそれとして別に作品を作らなければならないし、だから今すぐに展示という訳にはいかないけど、いずれお願いしたいと思っている。あと、オレだけじゃなく、オレが繋がりを持っている道外在住のアーティストでも興味を持ってくれる人がいるかもしれん。そんな事を話すと、大層喜んでくれ、自分の仲間にオレを紹介したいと言ってくれた。昨年オープンしたばかりという事もあってか、何か面白い事が出来ないかと常に考えているようだ。そんな話しを聞いて単純なオレは一気にモチベーションが高まった。
こういう前向きなノリをどうにかオレの住む町に引っ張って来れんだろうか?
というのは、今回頂いたポプラの木で作る作品は、来年夏、ここ芦別にある郷土資料館を会場とした展示のための作品だからである。
なんだかんだ言っても故郷である。デカい木をくれる人もいる町である。何より今オレが住んでいる町である。作品の発表は今後も東京を中心として、と考えていてもやっぱり気になるもんだ。