いきなりだけど、美大生とかアーティスト、アートに携わる人のイメージってどんななんでしょう?
オレは前回の日記で触れた通り中高生当時、音楽は洋楽にハマってた。恥ずかしながら当時活字の本を読んだ事はほとんどなく、愛読書は少年ジャンプ、映画は「ロッキー」他アメリカ映画が大好き、という感じで商業主義のど真ん中にあるものに触れて育った。
本についてはともかく、音楽や映画についてはこの辺に住んでる田舎者ならこれで十分だったのだけど、大学に通い出すとタルコフスキーやらドストエフスキーやらピンクフロイドやらジョンケージやらを口にし、彼らの影響を受けたという人達と出会い、美大というところはやっぱり特殊な人間が集まっているんだなと痛感、と同時に自分の浅はかな知識に焦りを感じ、特に脳みその87%くらいが北斗の拳の知識で埋まってる事がバレるのはまずいと感じ、授業で勧められる本を片っ端から読んだ。みすず書房の本を読むと頭が良くなった気がするのでみすず書房の本を率先して読んでたけど、読んでも分からんところがたくさんあるし、そもそもその本の選び方が馬鹿丸出しだし、時既に遅しというか、彼らと同じレベルで話をするにはケンシロウに秘孔をついてもらわないとならん状態だった。馬鹿なくせに大学院に進み、研究室に残り、小学校で勤めていたのでその後も馬鹿がバレないようにつとめてたけど、教育現場を離れてからは馬鹿を隠すのを止めた。
オレは馬鹿です。よろしく。
しかし小難しい言葉をやたらと絡めながら話す、一見すごく頭が良さそうで、その実オレ以上に馬鹿なんじゃないかと疑いたくなる奴も美大には結構いた。
一番すごいのは「オレはミケランジェロを越えた」と言ってた男。もっと正確に言うと「オレは昨日ミケランジェロを越えた」と言ってた。何をもってして越えたと感じるのか、馬鹿なオレにはさっぱり分からんけど、わざわざ「昨日越えた」と時間を限定してまで越えたと宣言する彼の中にはミケランジェロのセンスや功績が100メートル走の記録のように数値化されているのかもしれない。彼がすごいのはこれを酔っぱらって言った訳ではなく、本気で、しかも学外でも言ってた事。一時、東京多摩地区の造形屋さんの間でも「ムサビの××を知ってるか?ミケランジェロを越えたらしいぞ」と噂になってた。
もう10年程前の話だけど、ミケランジェロを越えたはずの彼の名前はまだ世の中に出て来ない。
美大生とかアーティストにはこういう奴もいる。